秋の夜の夢

朝、目覚めると、身体が少し汗ばんでいた。ベットから落ちないようにそっと寝返りを打つと、白いシーツに強い日差しが反射していてとてもまぶしかった。

毎年の決まり文句に「秋、なかったよね〜」があるけれど、今年はしっかりと、比較的長く滞在してくれてたと思う。そんな今年の秋にもようやく別れを告げ、着々と冷え込み始めた夜の空気を吸いながら冬の訪れを受け入れ始めていたのに、今朝は完全に秋の日差しが戻って来ていた。

身体を起こすと、ベットの下には昨日の夜中から早朝のニュースが流れるまで喋っていた友達たちが、ぎゅうぎゅうになって眠っている。私の足元でも、まるっと布団をかぶり、ふわふわのパーマで顔が隠れ大きな猫のようになっている友達がまたぐっすりと眠っている。

「そろそろ起きないとだよ」と大きな猫になった友達を起こす。むくりと布団から顔を出し、時計を確認すると、彼女はまたすぐ眠りについた。

「あぁ、彼女はきっとバイトに遅刻してしまうなあ」とぼんやり思いながら、再び起こすことなく私も眠った。

 

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この日、前に一緒に住んでいた友人が長く働いていたバーを辞めることになり、彼女主催の企画ライブが開催された。

撮影の仕事をなんとか抜け出し、彼女の出番ギリギリに到着すると、店内はみっちりと人がいて、暑くて急いで上着を脱いだ。店の一番後ろから彼女の様子を伺った。同じように彼女との仲が長い知り合い達が、ソワソワとしながら彼女のことを見守っていた。

機材トラブルもあり、少し緊張しているように見えたから、私は隙間をくぐって空いていた前の席に座り、膝の上で礼拝中のように親指を重ね手を組んだ。

 

彼女の歌を聴きながらこの日はやけに一緒に暮らしていた頃のことを思い出していた。毎日のようにこの歌声を聴けていた日々、同じ目標を持つ仲間が集まり食べて語って歌ってを朝まで繰り返していた夜、引き戸の扉越しに何度も乗り越えた葛藤、月一の贅沢と美味しかった手料理。そんな下北沢での時間に今日、一つ幕が降りたんだな、と思った。

あの家を引っ越した時にはそんなこと思わなかったのに、この日はなんだかみんなここから少しずつ少しずつバラバラに歩いていくんだということを妙に実感してしまって、寂しくなった。対比するように思い出される記憶はあまりに愛おしくて、こっそりと泣いた。

 

 

私と一緒に暮らしていた友人はバイト先が同じで、この企画に同じバイト先の仲間達もたくさん観に来たり出演したりしていた。もうプログラムも終わりを迎えようとしていたところに長年勤めているキッチンのおじいちゃん(通称神さん)もコロッケの仕込みを終えてひょっこりやってきた。

このバーに入るには結構急な階段を登らなければいけなくて、神さんはその階段を登れるか不安になるほどのおじいちゃんなんだけれど、お酒を飲みながら、DJの流すミュージックと賑やかさをお風呂に浸かるように味わっていた。

 

全ての出演者の演奏が終わり余韻がまだ冷め止まぬ頃、みんな各々楽器を手にして(私たち観客も鈴やカスタネットを手にしたりして)オー・シャンゼリゼを全員で一緒に歌った。それは映画のような、走馬灯でも見ているかのような、夢のように煌めいた時間だった。横を見ると神さんも歌をしっかり口ずさんでいて、その歌声と眼差しの真っ直ぐさに胸をギュッと絞られ、また泣きそうになった。

 

 

あまりに眩しい時間すぎて、この時間を自ら終わりにして去ることなどとてもできなかった。帰りの電車はとっくの前に無くなっていた。

電車もないけど行き場もなくて、バーを出た後みんなで夜中の二時までやってる中華屋に行き、お腹いっぱいご飯を食べた。

そのあと残った六人で、一人暮らしをしている子のお家にお邪魔させてもらうことになったのだけれど、ここからがこの日の第二幕の始まりだった。

 

私は友達の部屋に遊びに行くのが好きだ。

部屋ほどその人の人柄や積み重ねてきた時間をまるっと具現化してくれるものはない。

置かれているもの、貼られているもの、落ちているもの、余白、全てにその人らしさが滲み出ていてどれも愛おしい。学生時代、そんな"それぞれの部屋"をテーマに舞台作品を作ることを試みたこともあった。

 

そのお邪魔したお家はどこもかしこも隙間なくこだわりが行き届いた一つの作品空間のようだった。あまりに素敵なお部屋なのでみんな疲れも酔いも吹っ飛び、トイザらスに来た子供のように興奮しながら部屋にあるもの一つ一つ鑑賞した。(それから数日、同じ部屋を訪れた友達と会う度に、「あの部屋はすごかった」「影響うけてインテリア探し始めた」という話をするほど衝撃と興奮の余波は続いた。)

 

みんなが本棚の漫画に夢中になっている中、家主は徐にクローゼットの上から透明なケースを下ろし、中からファミコンを取り出した。ケースの中には他にもたくさんのカセットがきっちりと並べられていた。

みんなでまた懐かしい!!と大騒ぎしながら小学生のようにカセットを選んだ。

ボンバーマンがやりたいって話だったはずなのに、結局叩いて被ってじゃんけんぽんの叩いて被っての部分だけをやる、ただ先にボタンを押した方が勝ちのカーヴィのゲームをやることになった。わたしはゲームが大の苦手で、マリオは1-2から進まないし、何をやっても兄に負けてばかりだった思い出しかなかったのだけれど、その"ただ先にボタンを押した方が勝ち"ゲームはどうやら得意だということが発覚して、その場にいた全員に勝利し、"ゲーム"に関する記憶が一つ塗り変わった。(あれから数日後、月一の試験監督の仕事をしている時に、鉛筆を落とし手を挙げた生徒の対応した瞬間、あ、この手が上がったのに素早く気づき反応する感じ、あのゲームと似てるじゃんと思った。どうやらここで必要な反射神経が鍛えられていた。)

 

それから一人、また一人と眠りについていき、まだこの夜を終わらせたくなった四人でひとまず歯ブラシを買いにコンビニに出かけた。

星がよく瞬いていた夜だった。

歯ブラシを買って外に出たらみんなタバコを吸っていて、手にはシャンパンのビンが握られていた。 

戻ると普通の一人暮らしのおうちにはなかなかない立派なワイングラスが出てきたけど、もうその頃にはあまりになんでもあるこの部屋にも慣れ始めてすんなり受け入れていた。(そのワイングラスを洗うスポンジまであったのはやっぱりびっくりだったけど)正直シャンパンはもうほぼ喉を通らなかったし、その時何を喋っていたかもほとんど覚えていないけれど、とにかくずっと楽しかったことと、テレビをつけるともうめざましテレビが始まっていたことだけぼんやりと覚えている。

 

 

その朝は冷たい風のなか強い太陽の日が差す絶好の体育祭日和な天気だった。みんなそれぞれいつもの日々の続きがあり、わたしも学校にいく用があったので一緒に住んでいた友人と私は少し早くお家を出てみんなと、あの離れがたかった時間と、お別れした。

それから友人とも途中で別れ、ひとまず近くの銭湯に入ったのだけど、またそこのおばさまたちの銭湯コミニュケーションが最高で、楽しそうな話し声を聴きながら露天風呂に浸かっている時間は、生きててよかったわ、とか純粋に思ってしまうほどに幸せの絶頂だった。

 

お風呂からあがると昨晩の最高な写真たちが送られてきていた。それらを眺めながらカレー食べてたらカレーにスマホを落とした。そんな地味に最悪な出来事にも全く動じないほどに、あの日の夜と今朝の幸福には強度があった。

 

そういえば大きな猫のようになっていた友達はバイトに間に合ったのだろうかと思い、またその次の日にきいたら「1分だけ遅刻した〜」と言っていた。「なんか、まだあの日にいるんだよね。今50時間目って感じ」と、彼女はいった。

それから、でもやっぱりもうなかなかあんな日はないよねってこととか、ちょっと寂しさも感じた話とか、あの部屋に影響を受けて素敵なお部屋をピンタレストでピン付けするようになった話とか、あの日を経た今を共有した。わたしもあれからずっと、あの日に囚われたままだった。

夢かと疑ってしまうような煌めきだったけど、微かにスマホから香るカレーの匂いが夢でなかったことを教えてくれた。

 

すっかり少し外に出しただけで指先が凍る冬の空気に入れ替わり今年もついにフィナーレだよと告げるように落ち葉が、金テープのように大量に舞い落ちている。

私は録音してくれていたオー・シャンゼリゼを聴きながら、未だポケットの中でピカピカの小石をギュッと握りしめている。

 

 

https://drive.google.com/file/d/1ptMbvElLq5XznPG4zHzMNxFCVCJJrLrI/view?usp=drivesdk

 

 

 

2023.12.21