2023/02/08

一年前の今日のこと

今でもはっきりと覚えている。

仕事おわりにその日は少し機嫌がよかったから国分寺のスタバに寄って、新しくやる公演の台本を読んでいた。

少し休憩とインスタグラムのストーリーをタップし、いくつかタップした先にあった同級生の投稿で、先生が亡くなったことを知った。

 

頭から言葉が全て無くなった。

 

その後、メールでその知らせが来ていたことに気づいた。

その一斉送信よりも前に知らされる存在でなかったことが悲しかった。

 

メッセンジャーでのやり取りを振り返った。

毎年誕生日にくれていたメッセージに気づかなくて9月にお返事をし、次の日、グットマークだけが送られてきていた。いつも一つの話題を投げかけると何倍にも膨らんだお返事が返ってくるのに、マークだけだった時点で気づけたはずだった。

 

少し前に先生の大好きな武蔵野文庫の焼き林檎を食べに行っていた。

もう二度と返事が返ってくることのないトークルームにその焼き林檎の写真を送った。

コロナ禍でもうずっと会えてなかったから、いなくなった実感だって湧かなかった。

ただただこれから先の、まだこれからの私の姿を、見守っていて欲しかった。この先の時間に先生がいないことが信じられなかった。信じたくなかった。

 

私たちのゼミはあまり仲が良くなかったから、この行き場のない感情を誰にも共有できなかった。

少し周りの人に共有しようと試みては、当たり前に温度が違くて余計悲しくなるばかりだった。

まだ涙が流れるほど飲み込めてもいなかったから眠れない夜を過ごしてどん底の顔で出勤し、上司からまるでいつものお茶の時間の一つの会話のトピックみたいに”亡くなっちゃったんだってね~”と言われて、ブチギレてその時に初めて泣いた。(その人にとってはそのくらいであることは仕方ないので良くないキレだったと今では反省してるけど、先生にとてもお世話になっていたことはその人も知っていたのでもう少し想像してくれてもよかったじゃんともいまだに思う。)

 

もうあの日から一年経ったのか。

2023年は本当に一年過ぎるのが早かった、と思ったけれど、この日のことは随分前の出来事に感じる。

この日以降に経験した出来事が山盛りいっぱいあるし、この日の時点ではまだ出会っていない人たちが今のわたしのそばにはいたりしていて、この日の私と今の私は違うところにいるからそう感じるのだろう。

 

だけど、大学のゼミの二年間で先生に素敵な世界の見方と美味しい食べ物をたくさん教わったから、枇杷やクコの実がなった知らせや、ツヤツヤのカヌレ資生堂パーラーのパフェ、毎年冬に食べに行く武蔵野文庫の焼きリンゴ、くるくると舞う葉を見るたび先生のことを思い出す。

一年間『窓/埋葬』を上演して、言葉に姿を重ねていたのは先生のことだった。今、まさに思い出さない日は一日だってないまま、あなたのことを忘れられていると思う。

私は、先生が信じてくれた私のことをこれからも信じ続けたいから、そうあるために作品を残し続ける。

 

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最近で一番出てみたいと思った劇団がオーディションを開催していて、絶対に受けると思ったのに、いざ締切日になると全くその公演に自分が立っている姿が想像できなくて応募することができなかった。結構後のことを考えず、目先のチャンスに乗っかってばかりのこれまでだったけど(もちろんそれで得た出会いはものすごく大きかったし今の私の形の一部になっているけれど)忙しいばっかりにインプットの時間がなかなか取れなくて外側だけゴテゴテにデコられて中身スカスカなお菓子みたいになっている気がして、今年はもっとブラウニーみたいに中身ぎっしり食べ応え抜群みたいになっていきたい。その後オーディション応募しなかったこと死ぬほど後悔もしたけど、結果良かったと思える一年にしていく。今年は自分の所属している二団体の本公演がどっちも控えているし、来週には自主企画の本番がある。

 

そしてまた来年のこの日、全然違うところに私が立っていられたらいいなと思うし、きっとそうなっている。

(まず三分の一くらいしか読み切れていない先生から渡された”彩音BOX”の本を読み切るとこから始めなきゃ)

2024/02/08