『まなざしの庭』トリガーアラートについて

〈トリガーアラートとは〉

劇中の表現においてトラウマ(心的外傷的出来事)の体験を刺激したり

気分を害したりする可能性がある場合に事前に示される注意や警告のことです。

 

本作品はトリガーアラートの対象となる表現が一点含まれております。

ご不安をお持ちの方には、事前に該当箇所の脚本をお送りすることも可能です。件名に「トリガーアラートの件」等とご記入の上、sayane.0719@gmail.comまで、その旨をご連絡ください。

また、上演中に体調がすぐれなくなった場合は、いつでも会場の外へ移動していただけます。 「出口に近い席を希望」など、座席位置に関してご要望がある方は、当日受付にてお申し付けください。

 

 

写真より下にトリガーアラートの内容について記述しています。

ネタバレを含みますので、ご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈まなざしの庭 トリガーアラートについて〉

 

 

作品内で、以下の表現があります。

 

 

◯死に関する表現

身近な人の自死について言及する音声が流れる演出がございます。

 

以上となります。 ご来場いただく皆様にとって、できるだけ風通しがよく、安心してお過ごしいただける場になるよう努めます。 よろしくお願いいたします。

坂本彩音

 

 

「いまのところまだ存在しているわたしのたましいが……」

今日も天気はいいけどまだまだ寒い。『虎に翼』を観ながら出勤する。4月の公演まで1ヶ月を切ってしまい焦る。労働後、実家に届いてしまった手紙を受け取るついでに少し夕ご飯を食べてから吉祥寺シアターに向かった。おばあちゃんの形見のネックレスと梅干しをもらってトートバッグがパンパン。実家に帰るたびに梅干しをもらっているせいで家の冷蔵庫は今梅干しが飽和している。

 

低気圧がやってきていて頭がぼんやりする。眠ってしまわないか心配なので、集中できるように前の方の席に座った。すると後ろから声をかけられて、振り向くと今日観劇後に会おうねと約束していた人が「ラリーが続くと般若心経が聴ける卓球やりませんか?」と誘ってくれた。「はんにゃしんぎょう」「たっきゅう」舞台を観に行って聞くことのない言葉たちを急に受け取り、なにも理解できないままとりあえず後ろを着いていく。

すると入ったときには気が付かなかった卓球台がたしかに入口付近にあって、正しい握り方もわからない卓球のラケットを持って、とりあえず球を打ってみる。球にボールがうまくあたるとちゃんと言葉が流れてくる。でもラリーを続けることは難しい。相手にちょうど届くように力をコントロールすること、相手から返ってくる球をしっかり見ること、流れてくる言葉を聴くこと。ぼやぼや頭の今の私にはタスク過多で結局全然ラリーは続けられなかったけど、誰かと演劇を観に来たからこそある時間が嬉しかった。

上演がはじまる。無機質なオフィスのような、でも机の大きさでリビングのようにもみえる舞台美術。よくみると机の足に椅子がめり込んだりしている。衣装は手術着のようで、デザインが凝られていてかわいい。

下駄さんが大きな声、大きな身振りで喋っている。違和感しかないのに下駄さんにとってはそれが普通かのような馴染み具合でスッと受け取ることができてしまう。この人が〝円盤に乗る派〟の人であることに妙に納得してしまう。AIの音声を具現化したような、やたら誇張された振りと無の感情。たくろうのM1決勝戦のネタの赤木さんの姿がちらちらリンクする。畠山さんのパワハラ上司がリアル、というよりかは声の圧、速度、密度、身体の状態から〝誇張のトレース〟であることがわかるのがすごい。コピーをコピーし続けることによってうまれてくるバグ。これが近未来の人間の喋り姿、というのはなんとなくわかるような気がする。

 

フィクションの世界と現実で起きていることが曖昧になって重なる。いままでだったらフィクションだと眺めていたものがそう受け取れなくなっていく。受け取ってきたものたちが集まって形成されたたましいはあたりまえに一つ一つ違くて、それでもどこか根底にあるものはきっと同じだと信じていたのが、どこまでいってもわかり合えないんじゃないかという感覚がここ数年強くなってしまった。ゾンビにはなりたくないな。身近な人がゾンビになってしまうのもとても淋しいな。彼が大好きな赤福(ジェネリック)を持ってきてもらえるシーンは思い返すと泣けてくる。

目の前で繰り広げられていた重さと冷たさと虚無、軽薄さが同居していたあの対話たちは、近未来のはなしなんかではなく今まさに自分が過ごしている現状そのものに見えた。何処かに加担することなくそれを淡々と観させられたような時間。

その後、浜やんでご飯を食べながら、各々のたましいの話をする。他者にはみえない身体の中で起きていること、どんな感覚でそれをコントロールし、他者と関わり合っているのかを共有してみる時間。こういう時間が、場が、もっと必要なだけなんだとやっぱりそう信じたい。

 

2026/03/12

ケアと演技

竹中香子さんの『ケアと演技』を観に東松山へ。

新宿三丁目から1時間ほど電車に乗り、合計2時間かけて上演会場の"デイサービス楽らく"に辿り着いた。

駅に着くと人気のない広いロータリーがあって、雨だったので歩くのは厳しいと思ったが、なかなかタクシーが捕まりそうになく、タクシーGOも応答してくれない。

困っていたところ近くにいた二人組がちょうど空車のタクシーを捕まえていて、なんとなくこの街に住んでいる人じゃなさそうだったので声をかけると、やはり同じ演劇を観に行く人だったので同行させてもらった。

車内で5月に維新派の上演があることを知る。生きている中で生の維新派が観られると思ったなかったので情報を知れて嬉しい、絶対に観に行く、とHPをクリップする。

 

到着し中に入ると、デイサービスならではの暖かな人の対応と清潔な空間があった。天井が高く、紙で作られたお花や染め物の作品が壁に飾られていて、消毒液の匂いが充満していた。

上手には電子ピアノ、下手にはコントラバスが立てかけられている。

竹中さんが前説をする。「わたしの父は暗い中で身体を自由に動かすことができない環境が苦手で、生涯一度もわたしの公演を観に来ることはできませんでした。本公演は真っ暗にはなりませんし、体調が悪くなったら外の空気を吸いにいったりして大丈夫ですし、途中で戻ってきて大丈夫です。」

わたしも未だに観劇前の空気に緊張するし、息が詰まる狭い空間が苦手なのでこのような場づくりに安心する。

作品の内容は、竹中さんがデイサービスで4週間アートレジデンスした経験と、実際に竹中さんのお父さんをお家で介護していた時の経験を、本人ではなく、太田さんが演じる、というものだった。

お父さんの介護をする中で"親子""男と女"という関係性を崩さないように、気を遣っていたこと。それが本当は不用だったと気がついたこと。

その人の温もりを実感することでやさしくあれること。

ヴァルネラビリティを開示すること。

自分の体験を誰かに演じてもらうことによって生まれるケアについて。

決してその人になりきることはできないけど、その人の言葉を喋るために精一杯その人のことを想像する。その過程がケアに繋がってるのかも、と劇中に竹中さんが話す。

自分がこの間出演したガザ 希望のメッセージの朗読劇で苦難した、ガザの人々の言葉を読むこと。同居人が最近始めたタロットで占いをしてくれる時間や、アルバイトの面接の時間で感じた、自分だけに眼差しを向けてくれることで生まれたケア体験を思い起こし、たしかにと思う。

自分の自主公演でやりたかったこと/やっていたことがいくつか上演の中にあって、やっぱり午前4時のワークとケアは繋がっていることを実感する。

 

竹中さんのヴァルネラビリティの開示っぷりが眩しかった。どこまでが上演として用意されたものなのかわからなくなるほど声が体の奥底から出ていた。俳優として、わたしもこの状態になれるようになりたい。そこまで晒す勇気が、私にもいずれ沸くだろうか。

飾り気のない歌と、美しいピアノとコントラバスの音色、竹中さんから溢れ出ていた怒りへの共感と素直な言葉たちに涙が止まらなくなる。

最後、気をつけて、と声を掛け合うシーンで演劇は終わる。

一昨日の夜、同居人とタクシーを待っている時、言われて嬉しい言葉と言いたい言葉について話したことを思い出す。

わたしはおやすみなさいだな、と答えると同居人は気をつけて、だなと答えた。気をつけて、と声をかけると人は本当に気をつける意思が増して事故が減るらしい。

それからおばあちゃん家に行くと、見送りの時に、おばあちゃんが必ず外に出て、どんなに寒くても私たちの姿が見えなくなるまでじっと立って見送ってくれる姿が頭に浮かんだ。

 

上演後、近くに原爆の絵を展示してある美術館があることを知り、お客さんとして観にきてきた方の車に乗せてもらい美術館へ向かう。美術館の方が優しくて、残り時間が少ないからと100円安くしてくれたり、時間になってからも少しいていいですからと言ってくれた。

中に入るなり衝撃が走った。私よりも背が高い屏風絵がたくさん並んでいて、どれも真っ黒の炭と赤のみで描かれていた。原爆の絵だけではなく、これまで起きた様々な虐殺を描いた作品も展示されていた。苦しそうな表情や積み重なった身体が目に焼き付く。そしてまた、ガザのことを想う。

帰りも駅まで車で送ってくださり、その道中でそれぞれがどうやって今日の演劇をみることになったのかの経緯を話した。

わたしと一緒に車に乗せてもらっていた2人組の片方は、昨年から演劇をみるようになり、ローソンチケットのおすすめのところに出てきたから観にきたという。(もう1人は1人だと寂しいからと連れてこられたらしい。こんな遠くまで…!と思わず言ってしまった。)

車に乗せてくれたおじさんは、普段障害福祉施設で働いていて、障害がある人とアーティストが一緒に作品を作る企画を定期的に主催しているという。パンフレットをもらったがアーティストのラインナップがものすごい面々だった。

まっすぐな声で「わたしは障害を持ってる人たちのことを尊敬しているんです。だから彼らときちんと張り合えると思った人を呼んでます。」と言ってた。

不便な場所だからこそ生まれた縁だった。

全くの赤の他人とのコミュニケーションが1番通じ合った感じがするのは何故なんだろう。

 

東松山は焼き鳥が有名な街らしく、せっかくなら食べて帰るか、と思い、車を降りた後Googleマップを開く。すると1つピンを立てている場所があり、そこに行ってみることにした。

寒い中、駅から10分くらい歩く。寒すぎてやっぱりもう少し駅近にあった焼き鳥屋にすればよかったと思いながら進んでいると、赤い提灯の灯りが見えてホッとする。

昔ながらの店の建て付けで、中に入るとコの字のカウンター席のみがあった。常連っぽいお姉さん2人組と、奥ではおばあちゃんが座ってテレビを見ていて、おじいちゃんがキッチンで作業していた。何度かこんばんはーと声をかけても反応がなく、不安になる。横にいた常連さんがお客さんきたよーーと声かけてくれて、振り向いたおじいちゃんの優しそうな顔に安心して席に着く。

ビールと煮込みと焼き鳥を数本頼むとお手製の漬物を先付けで出してくれて、おじいちゃんが「これもおいしいよ」と茎わかめをくれた。

アルバイト先が火事でなくなり、すっかり会えなくなってしまった板前のおじいちゃんを思い出して恋しくなる。

焼き鳥はどれも大ぶりで歯応えがあって本当においしかった。たのんでない軟骨まで出してくれた。(ただの注文ミスかも知れないが)

煮込みは味が優しくて、おじいちゃんが何度も「この味噌入れるとおいしいんだよ」と勧めてくれるので、入れてみるとしっかり辛くて生姜が効いていてそれはそれは美味しかった。

おじいちゃんはわたしの頼んだものを一通り出し切ると、隣の常連のお姉さん達と楽しそうにお酒を飲んでいた。

話の中で、この間ロバート秋山がきて、とにかく顔が大きかった、という話をしていて

ロバート秋山の街散歩みたいな番組を見ててこの店にピンを立てたことを思い出す。

それからすっかり気が良くなったおじいちゃんは、焼き鳥音頭なるものを流して踊り歌い始める。隣のお姉さん達は酒が進むわ〜といいながら手拍子をしている。

 

あぁ、この店に来てよかった、と心から思った。

 

お姉さん達が帰るタイミングでわたしもお会計をした。

「月曜日定休でね、ゴルフやってない日は15時くらいから店開けてるからまたいつでもおいで」と言ってくれる。一緒に来たい人の顔がたくさん浮かんだ。

寒いから気をつけるんだよ、と何度も伝えてくれる。また今日の演劇のシーンと重なる。

外の寒さは増していたけど、辛い味噌が喉を熱くさせていて、寒い空気がちょうど中和してくれた。

 

たまに、こういうどうしようもなく日記に残さなきゃと思う日がある。

身体がちょっとした旅をちょうど求めていたので、雨にめげず遠出してよかった。

 

2025.04.13

 

あの頃の夕暮れ

自転車の後ろに座って運ばれている子供達が別れ道で、
まるで別々の星に帰ってしまうかのような一生懸命さで「また明日」と伝え合っている。互いの姿が見えなくなっても「バイバイまた明日大好き」と同じ言葉を返し合っていた。
それから昨日の夜にできてしまったものもらいと明日の朝5時起きのことで頭がいっぱいだった私は、もう忘れてしまった感覚の破片を必死に呼び起こした。

2024.11.22

 

到底敵わない目玉

学校の自転車を直しに自転車屋さんへ。
おじいちゃんが2人で作業してる。
いくらかかりますか?ときいたら1500円だと言われた。この間までお願いしてたとこは5000円だった。
おじいちゃんは、「なんとかってとこだと3000円かかるでしょ、しかも2回いかなきゃいけない。ちょっと待ってたら1500円でできるからその方がいいでしょう」みたいなことをいってたんだけど、隣のおじいちゃんが工具の山の中からガチャガチャとなにかを探している音でほぼ聴き取れなかった。
ここに座ってなと言われた場所で20分くらい待っていたら「終わったよ〜」とおじいちゃんが言う。私のことを高校生くらいに思っているような口ぶりで「これでおうちに帰れるよ〜」といいながらゆっくりと立ち上がる。

「空気入れてない状態で乗ってたでしょ、そういうパンクの仕方でしたよ。空気入れは無料だからいつでも入れにきてね。そうしたら空気入れを買わなくて済むんだから」と言われた。
私は「はい」と答えて1500円を渡し、「〇〇大学で領収書をください」と伝えた。するとおじいちゃんは椅子の上に乱雑に置かれた資料の山から領収書を引っ張り出し、椅子の座面を机にする形でしゃがみ込んで一文字一文字丁寧に書いてくれた。
書き終えると「わたし目が見えないんでね、文字が合ってるか確認してくれる?」と言われた。
全て勢いのある字で正しい箇所に正しい文字が記載されていた。
「全部合ってます」とわたしが少し驚きを隠せずに言うと
「もうね、だいたい勘で書けるんだよ。パンクもなおせるし」と応えた。
それから「何歳にみえる?」というお決まりの質問をされて、80歳くらいにみえるけどこれ少し若く答えなきゃいけないやつだよな…と戸惑っていると、「90歳になったの。市からお祝いしてもらえるんだって。でも、忙しくて市役所に行ってる時間ないんだよ」とおじいちゃんは言った。なんてこった…
私のおじいちゃんは定年退職して60歳からずっと家にいて、80歳頃に亡くなった。もう片方のおじいちゃんは今年で90歳だけど、会っても私のことがわからないほどボケてしまっている。でもわたしの周りにいる、働いている80代のおじいちゃんおばあちゃんは確かに今もめちゃくちゃ元気だよな〜と身体と頭を動かさなくなることによる衰えと、80歳を超えても労働しなければならない現状について交互に考えながら大学に戻った。

それから帰り際に「あなたの顔もよく見えないの」といいながらわたしの顔をじっと見る青く濁った瞳を何度も思い返しながら、"到底敵わないと思う目玉"とはこのことだと思った。

 

2024.09.06

祈り

公演おわってから、流れを堰き止めていたダムが崩壊し一気に濁流が流れてくるように各所から仕事や電話の連絡がきて気づいた時には公演が終わって4日も経っていた。

この4日何してたんだよ、と19日からの自分を振り返っても余韻に浸る隙間など確かに少しもなかった。

夕方から時間が空いていた昨日は、恋人の家に行って恋人が帰ってくるまでは改めて公演に来てくれた方々へのお礼をしようと思っていたのに、立て続けに3人くらいと電話の約束ができ、あっという間に時間は過ぎて24時過ぎに帰ってきた恋人が大きな真っ白のお花の束を抱き抱えて入ってきたのをみて、なんの花束だ…!と思考が停止した。

「公演お疲れ様」とその花束を渡された時、そうだった…わたしはつい先日公演をやり遂げたばかりだったんだった…と花束を握り締めたときにようやく少し実感したのだった。

 

もらった花束を抱えて電車に乗っている時間がとても幸せだった。揺れて柔らかい花びらの感触が肌に触れる。常に花の香りで包まれている。公演のことを振り返る。流れていた時間のことを思い出す。

 

 

私は中高一貫の学校に通っていて、毎日朝の礼拝から1日が始まった。

まずは前奏があって祈り言葉があり、讃美歌を歌って聖書の言葉に耳を傾ける。それからクリスチャンの先生達の神様とのエピソードを聞き、また共に祈りを捧げ、讃美歌を歌い後奏がある。

チャペルのステンドグラスから差し込む光とグランドピアノの音はいつもとても綺麗で、

昨晩どんなに嫌なことがあってもだいたいが洗い流された。

神様のことを、わたしは心から信じてはいないけど、信じている人たちの話を聞くのは好きだった。何かを信じて祈る人たちの姿が、そのための歌が、言葉が、美しくて礼拝の時間がとても好きだった。

 

電車の中で思い返しながら"あぁ、あの時間を再現したかったんだ"と思った。

 

中学生の頃から作品を作ってきて、少しずつ表現の形は変われど、根底はずっと同じところにある。

あなたが今どうしようもない苦しみや悲しみの中にいたとしても、必ず明けるときがくるから、どうかそのことを忘れないでいて。

光はいつだって不思議になるほど綺麗、生活は尊い、もしも天国に行って17時のチャイムを聴いた時、二度と戻れない日々があまりに愛おしくてきっと泣いてしまう。

何の救いにもならないと、結局祈りなんてなにも変えないと、言われたら本当その通りだ。もちろんわたしはわたしのことしか変えることはできない。

それでもわたしは手を組んで親指で十字架を作り目を瞑る。その時間は私にとって救いであるから。

でももしも、その姿が誰かにとって少しだけ糧になったりしたのなら、こんなに嬉しいことはないと、そしてそれが少しでも長くあなたを満たしますようにと、また手を組み祈り続ける。

 

 

 

家に着き、"薔薇はドライフラワーにして新居にかざったら?"と恋人に言われた通り、花束から薔薇だけを抜いて、残りの花を大きな花瓶に生けた。

3月からまた新たらしい生活が始まる。

頭の中のタスクをリストアップしたらあまりの多さにどこから手をつけたらいいのかわからなくなり、結局布団に寝転がる。

生活は続く。"生活は尊い"と書いたが基本は心を乱すことばかりの日々だ。

その中でしばらくは玄関の花束が、部屋の中に香る薔薇の匂いが、私を少し幸せにしてくれる。

 

2024/02/21

2023/02/08

一年前の今日のこと

今でもはっきりと覚えている。

仕事おわりにその日は少し機嫌がよかったから国分寺のスタバに寄って、新しくやる公演の台本を読んでいた。

少し休憩とインスタグラムのストーリーをタップし、いくつかタップした先にあった同級生の投稿で、先生が亡くなったことを知った。

 

頭から言葉が全て無くなった。

 

その後、メールでその知らせが来ていたことに気づいた。

その一斉送信よりも前に知らされる存在でなかったことが悲しかった。

 

メッセンジャーでのやり取りを振り返った。

毎年誕生日にくれていたメッセージに気づかなくて9月にお返事をし、次の日、グットマークだけが送られてきていた。いつも一つの話題を投げかけると何倍にも膨らんだお返事が返ってくるのに、マークだけだった時点で気づけたはずだった。

 

少し前に先生の大好きな武蔵野文庫の焼き林檎を食べに行っていた。

もう二度と返事が返ってくることのないトークルームにその焼き林檎の写真を送った。

コロナ禍でもうずっと会えてなかったから、いなくなった実感だって湧かなかった。

ただただこれから先の、まだこれからの私の姿を、見守っていて欲しかった。この先の時間に先生がいないことが信じられなかった。信じたくなかった。

 

私たちのゼミはあまり仲が良くなかったから、この行き場のない感情を誰にも共有できなかった。

少し周りの人に共有しようと試みては、当たり前に温度が違くて余計悲しくなるばかりだった。

まだ涙が流れるほど飲み込めてもいなかったから眠れない夜を過ごしてどん底の顔で出勤し、上司からまるでいつものお茶の時間の一つの会話のトピックみたいに”亡くなっちゃったんだってね~”と言われて、ブチギレてその時に初めて泣いた。(その人にとってはそのくらいであることは仕方ないので良くないキレだったと今では反省してるけど、先生にとてもお世話になっていたことはその人も知っていたのでもう少し想像してくれてもよかったじゃんともいまだに思う。)

 

もうあの日から一年経ったのか。

2023年は本当に一年過ぎるのが早かった、と思ったけれど、この日のことは随分前の出来事に感じる。

この日以降に経験した出来事が山盛りいっぱいあるし、この日の時点ではまだ出会っていない人たちが今のわたしのそばにはいたりしていて、この日の私と今の私は違うところにいるからそう感じるのだろう。

 

だけど、大学のゼミの二年間で先生に素敵な世界の見方と美味しい食べ物をたくさん教わったから、枇杷やクコの実がなった知らせや、ツヤツヤのカヌレと資生堂パーラーのパフェ、毎年冬に食べに行く武蔵野文庫の焼きリンゴ、くるくると舞う葉を見るたび先生のことを思い出す。

一年間『窓/埋葬』を上演して、言葉に姿を重ねていたのは先生のことだった。今、まさに思い出さない日は一日だってないまま、あなたのことを忘れられていると思う。

私は、先生が信じてくれた私のことをこれからも信じ続けたいから、そうあるために作品を残し続ける。

 

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最近で一番出てみたいと思った劇団がオーディションを開催していて、絶対に受けると思ったのに、いざ締切日になると全くその公演に自分が立っている姿が想像できなくて応募することができなかった。結構後のことを考えず、目先のチャンスに乗っかってばかりのこれまでだったけど(もちろんそれで得た出会いはものすごく大きかったし今の私の形の一部になっているけれど)忙しいばっかりにインプットの時間がなかなか取れなくて外側だけゴテゴテにデコられて中身スカスカなお菓子みたいになっている気がして、今年はもっとブラウニーみたいに中身ぎっしり食べ応え抜群みたいになっていきたい。その後オーディション応募しなかったこと死ぬほど後悔もしたけど、結果良かったと思える一年にしていく。今年は自分の所属している二団体の本公演がどっちも控えているし、来週には自主企画の本番がある。

 

そしてまた来年のこの日、全然違うところに私が立っていられたらいいなと思うし、きっとそうなっている。

(まず三分の一くらいしか読み切れていない先生から渡された”彩音BOX”の本を読み切るとこから始めなきゃ)

2024/02/08