祈り

公演おわってから、流れを堰き止めていたダムが崩壊し一気に濁流が流れてくるように各所から仕事や電話の連絡がきて気づいた時には公演が終わって4日も経っていた。

この4日何してたんだよ、と19日からの自分を振り返っても余韻に浸る隙間など確かに少しもなかった。

夕方から時間が空いていた昨日は、恋人の家に行って恋人が帰ってくるまでは改めて公演に来てくれた方々へのお礼をしようと思っていたのに、立て続けに3人くらいと電話の約束ができ、あっという間に時間は過ぎて24時過ぎに帰ってきた恋人が大きな真っ白のお花の束を抱き抱えて入ってきたのをみて、なんの花束だ!と思考が停止した。

「公演お疲れ様」とその花束を渡された時、そうだったわたしはつい先日公演をやり遂げたばかりだったんだったと花束を握り締めたときにようやく少し実感したのだった。

 

もらった花束を抱えて電車に乗っている時間がとても幸せだった。揺れて柔らかい花びらの感触が肌に触れる。常に花の香りで包まれている。公演のことを振り返る。流れていた時間のことを思い出す。

 

 

私は中高一貫の学校に通っていて、毎日朝の礼拝から1日が始まった。

まずは前奏があって祈り言葉があり、讃美歌を歌って聖書の言葉に耳を傾ける。それからクリスチャンの先生達の神様とのエピソードを聞き、また共に祈りを捧げ、讃美歌を歌い後奏がある。

チャペルのステンドグラスから差し込む光とグランドピアノの音はいつもとても綺麗で、

昨晩どんなに嫌なことがあってもだいたいが洗い流された。

神様のことを、わたしは心から信じてはいないけど、信じている人たちの話を聞くのは好きだった。何かを信じて祈る人たちの姿が、そのための歌が、言葉が、美しくて礼拝の時間がとても好きだった。

 

電車の中で思い返しながら"あぁ、あの時間を再現したかったんだ"と思った。

 

中学生の頃から作品を作ってきて、少しずつ表現の形は変われど、根底はずっと同じところにある。

あなたが今どうしようもない苦しみや悲しみの中にいたとしても、必ず明けるときがくるから、どうかそのことを忘れないでいて。

光はいつだって不思議になるほど綺麗、生活は尊い、もしも天国に行って17時のチャイムを聴いた時、二度と戻れない日々があまりに愛おしくてきっと泣いてしまう。

何の救いにもならないと、結局祈りなんてなにも変えないと、言われたら本当その通りだ。もちろんわたしはわたしのことしか変えることはできない。

それでもわたしは手を組んで親指で十字架を作り目を瞑る。その時間は私にとって救いであるから。

でももしも、その姿が誰かにとって少しだけ糧になったりしたのなら、こんなに嬉しいことはないと、そしてそれが少しでも長くあなたを満たしますようにと、また手を組み祈り続ける。

 

 

 

家に着き、"薔薇はドライフラワーにして新居にかざったら?"と恋人に言われた通り、花束から薔薇だけを抜いて、残りの花を大きな花瓶に生けた。

3月からまた新たらしい生活が始まる。

頭の中のタスクをリストアップしたらあまりの多さにどこから手をつけたらいいのかわからなくなり、結局布団に寝転がる。

生活は続く。"生活は尊い"と書いたが基本は心を乱すことばかりの日々だ。

その中でしばらくは玄関の花束が、部屋の中に香る薔薇の匂いが、私を少し幸せにしてくれる。

 

2024/02/21

2023/02/08

一年前の今日のこと

今でもはっきりと覚えている。

仕事おわりにその日は少し機嫌がよかったから国分寺のスタバに寄って、新しくやる公演の台本を読んでいた。

少し休憩とインスタグラムのストーリーをタップし、いくつかタップした先にあった同級生の投稿で、先生が亡くなったことを知った。

 

頭から言葉が全て無くなった。

 

その後、メールでその知らせが来ていたことに気づいた。

その一斉送信よりも前に知らされる存在でなかったことが悲しかった。

 

メッセンジャーでのやり取りを振り返った。

毎年誕生日にくれていたメッセージに気づかなくて9月にお返事をし、次の日、グットマークだけが送られてきていた。いつも一つの話題を投げかけると何倍にも膨らんだお返事が返ってくるのに、マークだけだった時点で気づけたはずだった。

 

少し前に先生の大好きな武蔵野文庫の焼き林檎を食べに行っていた。

もう二度と返事が返ってくることのないトークルームにその焼き林檎の写真を送った。

コロナ禍でもうずっと会えてなかったから、いなくなった実感だって湧かなかった。

ただただこれから先の、まだこれからの私の姿を、見守っていて欲しかった。この先の時間に先生がいないことが信じられなかった。信じたくなかった。

 

私たちのゼミはあまり仲が良くなかったから、この行き場のない感情を誰にも共有できなかった。

少し周りの人に共有しようと試みては、当たり前に温度が違くて余計悲しくなるばかりだった。

まだ涙が流れるほど飲み込めてもいなかったから眠れない夜を過ごしてどん底の顔で出勤し、上司からまるでいつものお茶の時間の一つの会話のトピックみたいに”亡くなっちゃったんだってね~”と言われて、ブチギレてその時に初めて泣いた。(その人にとってはそのくらいであることは仕方ないので良くないキレだったと今では反省してるけど、先生にとてもお世話になっていたことはその人も知っていたのでもう少し想像してくれてもよかったじゃんともいまだに思う。)

 

もうあの日から一年経ったのか。

2023年は本当に一年過ぎるのが早かった、と思ったけれど、この日のことは随分前の出来事に感じる。

この日以降に経験した出来事が山盛りいっぱいあるし、この日の時点ではまだ出会っていない人たちが今のわたしのそばにはいたりしていて、この日の私と今の私は違うところにいるからそう感じるのだろう。

 

だけど、大学のゼミの二年間で先生に素敵な世界の見方と美味しい食べ物をたくさん教わったから、枇杷やクコの実がなった知らせや、ツヤツヤのカヌレ資生堂パーラーのパフェ、毎年冬に食べに行く武蔵野文庫の焼きリンゴ、くるくると舞う葉を見るたび先生のことを思い出す。

一年間『窓/埋葬』を上演して、言葉に姿を重ねていたのは先生のことだった。今、まさに思い出さない日は一日だってないまま、あなたのことを忘れられていると思う。

私は、先生が信じてくれた私のことをこれからも信じ続けたいから、そうあるために作品を残し続ける。

 

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最近で一番出てみたいと思った劇団がオーディションを開催していて、絶対に受けると思ったのに、いざ締切日になると全くその公演に自分が立っている姿が想像できなくて応募することができなかった。結構後のことを考えず、目先のチャンスに乗っかってばかりのこれまでだったけど(もちろんそれで得た出会いはものすごく大きかったし今の私の形の一部になっているけれど)忙しいばっかりにインプットの時間がなかなか取れなくて外側だけゴテゴテにデコられて中身スカスカなお菓子みたいになっている気がして、今年はもっとブラウニーみたいに中身ぎっしり食べ応え抜群みたいになっていきたい。その後オーディション応募しなかったこと死ぬほど後悔もしたけど、結果良かったと思える一年にしていく。今年は自分の所属している二団体の本公演がどっちも控えているし、来週には自主企画の本番がある。

 

そしてまた来年のこの日、全然違うところに私が立っていられたらいいなと思うし、きっとそうなっている。

(まず三分の一くらいしか読み切れていない先生から渡された”彩音BOX”の本を読み切るとこから始めなきゃ)

2024/02/08

秋の夜の夢

朝、目覚めると、身体が少し汗ばんでいた。ベットから落ちないようにそっと寝返りを打つと、白いシーツに強い日差しが反射していてとてもまぶしかった。

毎年の決まり文句に「秋、なかったよね〜」があるけれど、今年はしっかりと、比較的長く滞在してくれてたと思う。そんな今年の秋にもようやく別れを告げ、着々と冷え込み始めた夜の空気を吸いながら冬の訪れを受け入れ始めていたのに、今朝は完全に秋の日差しが戻って来ていた。

身体を起こすと、ベットの下には昨日の夜中から早朝のニュースが流れるまで喋っていた友達たちが、ぎゅうぎゅうになって眠っている。私の足元でも、まるっと布団をかぶり、ふわふわのパーマで顔が隠れ大きな猫のようになっている友達がまたぐっすりと眠っている。

「そろそろ起きないとだよ」と大きな猫になった友達を起こす。むくりと布団から顔を出し、時計を確認すると、彼女はまたすぐ眠りについた。

「あぁ、彼女はきっとバイトに遅刻してしまうなあ」とぼんやり思いながら、再び起こすことなく私も眠った。

 

1119()

この日、前に一緒に住んでいた友人が長く働いていたバーを辞めることになり、彼女主催の企画ライブが開催された。

撮影の仕事をなんとか抜け出し、彼女の出番ギリギリに到着すると、店内はみっちりと人がいて、暑くて急いで上着を脱いだ。店の一番後ろから彼女の様子を伺った。同じように彼女との仲が長い知り合い達が、ソワソワとしながら彼女のことを見守っていた。

機材トラブルもあり、少し緊張しているように見えたから、私は隙間をくぐって空いていた前の席に座り、膝の上で礼拝中のように親指を重ね手を組んだ。

 

彼女の歌を聴きながらこの日はやけに一緒に暮らしていた頃のことを思い出していた。毎日のようにこの歌声を聴けていた日々、同じ目標を持つ仲間が集まり食べて語って歌ってを朝まで繰り返していた夜、引き戸の扉越しに何度も乗り越えた葛藤、月一の贅沢と美味しかった手料理。そんな下北沢での時間に今日、一つ幕が降りたんだな、と思った。

あの家を引っ越した時にはそんなこと思わなかったのに、この日はなんだかみんなここから少しずつ少しずつバラバラに歩いていくんだということを妙に実感してしまって、寂しくなった。対比するように思い出される記憶はあまりに愛おしくて、こっそりと泣いた。

 

 

私と一緒に暮らしていた友人はバイト先が同じで、この企画に同じバイト先の仲間達もたくさん観に来たり出演したりしていた。もうプログラムも終わりを迎えようとしていたところに長年勤めているキッチンのおじいちゃん(通称神さん)もコロッケの仕込みを終えてひょっこりやってきた。

このバーに入るには結構急な階段を登らなければいけなくて、神さんはその階段を登れるか不安になるほどのおじいちゃんなんだけれど、お酒を飲みながら、DJの流すミュージックと賑やかさをお風呂に浸かるように味わっていた。

 

全ての出演者の演奏が終わり余韻がまだ冷め止まぬ頃、みんな各々楽器を手にして(私たち観客も鈴やカスタネットを手にしたりして)オー・シャンゼリゼを全員で一緒に歌った。それは映画のような、走馬灯でも見ているかのような、夢のように煌めいた時間だった。横を見ると神さんも歌をしっかり口ずさんでいて、その歌声と眼差しの真っ直ぐさに胸をギュッと絞られ、また泣きそうになった。

 

 

あまりに眩しい時間すぎて、この時間を自ら終わりにして去ることなどとてもできなかった。帰りの電車はとっくの前に無くなっていた。

電車もないけど行き場もなくて、バーを出た後みんなで夜中の二時までやってる中華屋に行き、お腹いっぱいご飯を食べた。

そのあと残った六人で、一人暮らしをしている子のお家にお邪魔させてもらうことになったのだけれど、ここからがこの日の第二幕の始まりだった。

 

私は友達の部屋に遊びに行くのが好きだ。

部屋ほどその人の人柄や積み重ねてきた時間をまるっと具現化してくれるものはない。

置かれているもの、貼られているもの、落ちているもの、余白、全てにその人らしさが滲み出ていてどれも愛おしい。学生時代、そんな"それぞれの部屋"をテーマに舞台作品を作ることを試みたこともあった。

 

そのお邪魔したお家はどこもかしこも隙間なくこだわりが行き届いた一つの作品空間のようだった。あまりに素敵なお部屋なのでみんな疲れも酔いも吹っ飛び、トイザらスに来た子供のように興奮しながら部屋にあるもの一つ一つ鑑賞した。(それから数日、同じ部屋を訪れた友達と会う度に、「あの部屋はすごかった」「影響うけてインテリア探し始めた」という話をするほど衝撃と興奮の余波は続いた。)

 

みんなが本棚の漫画に夢中になっている中、家主は徐にクローゼットの上から透明なケースを下ろし、中からファミコンを取り出した。ケースの中には他にもたくさんのカセットがきっちりと並べられていた。

みんなでまた懐かしい!!と大騒ぎしながら小学生のようにカセットを選んだ。

ボンバーマンがやりたいって話だったはずなのに、結局叩いて被ってじゃんけんぽんの叩いて被っての部分だけをやる、ただ先にボタンを押した方が勝ちのカーヴィのゲームをやることになった。わたしはゲームが大の苦手で、マリオは1-2から進まないし、何をやっても兄に負けてばかりだった思い出しかなかったのだけれど、その"ただ先にボタンを押した方が勝ち"ゲームはどうやら得意だということが発覚して、その場にいた全員に勝利し、"ゲーム"に関する記憶が一つ塗り変わった。(あれから数日後、月一の試験監督の仕事をしている時に、鉛筆を落とし手を挙げた生徒の対応した瞬間、あ、この手が上がったのに素早く気づき反応する感じ、あのゲームと似てるじゃんと思った。どうやらここで必要な反射神経が鍛えられていた。)

 

それから一人、また一人と眠りについていき、まだこの夜を終わらせたくなった四人でひとまず歯ブラシを買いにコンビニに出かけた。

星がよく瞬いていた夜だった。

歯ブラシを買って外に出たらみんなタバコを吸っていて、手にはシャンパンのビンが握られていた。 

戻ると普通の一人暮らしのおうちにはなかなかない立派なワイングラスが出てきたけど、もうその頃にはあまりになんでもあるこの部屋にも慣れ始めてすんなり受け入れていた。(そのワイングラスを洗うスポンジまであったのはやっぱりびっくりだったけど)正直シャンパンはもうほぼ喉を通らなかったし、その時何を喋っていたかもほとんど覚えていないけれど、とにかくずっと楽しかったことと、テレビをつけるともうめざましテレビが始まっていたことだけぼんやりと覚えている。

 

 

その朝は冷たい風のなか強い太陽の日が差す絶好の体育祭日和な天気だった。みんなそれぞれいつもの日々の続きがあり、わたしも学校にいく用があったので一緒に住んでいた友人と私は少し早くお家を出てみんなと、あの離れがたかった時間と、お別れした。

それから友人とも途中で別れ、ひとまず近くの銭湯に入ったのだけど、またそこのおばさまたちの銭湯コミニュケーションが最高で、楽しそうな話し声を聴きながら露天風呂に浸かっている時間は、生きててよかったわ、とか純粋に思ってしまうほどに幸せの絶頂だった。

 

お風呂からあがると昨晩の最高な写真たちが送られてきていた。それらを眺めながらカレー食べてたらカレーにスマホを落とした。そんな地味に最悪な出来事にも全く動じないほどに、あの日の夜と今朝の幸福には強度があった。

 

そういえば大きな猫のようになっていた友達はバイトに間に合ったのだろうかと思い、またその次の日にきいたら「1分だけ遅刻した〜」と言っていた。「なんか、まだあの日にいるんだよね。今50時間目って感じ」と、彼女はいった。

それから、でもやっぱりもうなかなかあんな日はないよねってこととか、ちょっと寂しさも感じた話とか、あの部屋に影響を受けて素敵なお部屋をピンタレストでピン付けするようになった話とか、あの日を経た今を共有した。わたしもあれからずっと、あの日に囚われたままだった。

夢かと疑ってしまうような煌めきだったけど、微かにスマホから香るカレーの匂いが夢でなかったことを教えてくれた。

 

すっかり少し外に出しただけで指先が凍る冬の空気に入れ替わり今年もついにフィナーレだよと告げるように落ち葉が、金テープのように大量に舞い落ちている。

私は録音してくれていたオー・シャンゼリゼを聴きながら、未だポケットの中でピカピカの小石をギュッと握りしめている。

 

 

https://drive.google.com/file/d/1ptMbvElLq5XznPG4zHzMNxFCVCJJrLrI/view?usp=drivesdk

 

 

 

2023.12.21

きょうからのスタート

 

7月19日。朝から浅草寺でおみくじを引いて、人生で初めて凶が出た。

「26歳、凶(今日)からスタート!」とケラケラ笑いながら、この先何をやっても悪いこと尽くしと書かれたおみくじを細かく折りたたんで、ふざけんなと思いながらぎゅっと結んだ。

今日の予定は何も決めていなかったから、この夏必ず行くと決めていた「光」をテーマにした名作達が展示されるテート美術館展を観に六本木へ向かうことにした。チケットにもなっていたジョン・ブレットの「ドーセット州の崖から見えるイギリス海峡」という絵があまりにも綺麗で、しばらくの間絵を眺めながら美術館を出た後は海に行くことを決めた。

せっかくならついでに海の家で働いている友達にも会いに行こう、と思い立ち連絡をしたら「昨日まで9連勤だったのに・・・」と返信がきた。幸先悪いな、と思いながらぎゅっと結んだおみくじが頭に浮かぶ。

 

そもそも私はこれまでの人生の中で思い立った矢先に躓く、みたいなことが非常に多い。朝に思い立って行こうとした展覧会は会場に着いてからよく見たら去年の日付だったりするし、思い立っていくご飯屋さんが満席か臨時休業な確率は日本一を狙えるかもしれないほど高い。この話を友達にしたら「そういうのってどっかでちゃんと帳尻あってんの?」と聞かれた。思い立った先のご飯屋さんが空いてなかった時に、しょうがないからと入った近くお店は大抵大当たりするし、大学生の時まではおみくじで大吉しか引いたことなかったし、たまにじゃんけんのときに相手が出すものがわかる時がある。そういうところで、多分帳尻は合ってるんだと思う。そうだと信じてる。そういう風にできているって知っている。だからわたしは気にせず一人で海へ向かう。

 

海の家でレッドアイとソーセージを頼み、

少し波が荒い海を眺めた。

めちゃくちゃ暑いだろうと覚悟して行ったけれど、風はひんやりしていて気持ちがよかった。雲が多かった空の隙間から、だんだんと美術館で見た絵のような光が差しはじめる。水辺に行くたびにひらめちゃんが言ってくれた「あやちゃんは水タイプだよね。」という言葉を思い出す。そうなんだと思う。元々私が生まれた時は7月19日が海の日だった。だからなのか水辺は私にとってパワースポットになっている。

 

今年の頭に恩師だった教授が亡くなった。誕生日には毎年必ずメッセージをくれていたから、今年は送られてこなかったことで改めてもういないことを実感した。

卒業式がコロナで無くなってしまった私たちは、また卒業式の日に会おうね、と軽く手を振ったまま、きちんと最後のお別れを出来ずに今に至る人が多い。もう、このまま一生会わない人もきっとたくさんいるのだと思う。

先生とも、また落ち着いたら会えるだろう、と思っていたから。亡くなった、と聞いた後もあまり実感が湧かずぼやぼやとしていたのだけど、こうやって少しずつ実感していく。

毎年くれていたメッセージを読み返す。「こんな時代になったけど、負けないで強く生きるんだよ」

先生はいつも身をちぎったような言葉をたくさん手渡してくれて、それらを久しぶりに再度受け取り、もう会えないことがやっぱりどうしようもなく悲しくなった。

 

 

新宿駅に戻り西武新宿の駅に向かっている途中パタパタと揺れるすだちうどんの写真に猛烈に惹かれて26歳にして人生で初めてなか卯に入った。

でも出てきたものは写真と全然違ったし、あまり美味しくなくて、うどんを啜りながらまたぎゅっと結んだおみくじが頭に浮かぶ。思い出したくなかったことを次々に思い出してしまうのを塞ぐように急いでうどんを啜り店を出る。

 

負の感情もベタベタな汗も足についた砂も全て洗い流すために、最後に地元のスーパー銭湯に行った。今が1どん底でここからは這い上がるしかないってことだよ、と凶をひいた時の励まし文句があるけれど、今がどん底ならばこの先全然大丈夫だな〜と思いながらお風呂上がりの牛乳を一気に飲み干し帰宅した。

 

親知らず

 

2年ぶりに歯医者に行った。


右下の奥歯が腫れ、頬の裏の粘膜にも口内炎ができ、顎は動かすたびにカクカク言う。口周りが満身創痍であることを伝えると、とりあえずレントゲンを撮りますと伝えられ、青いテロテロのエプロンをつけられて機械に顎を乗せる。
そのままじっとしていてくださいねーと言われ部屋に取り残されたあと、顔に赤外線の十字が引かれる。やばい、と思った瞬間、機械音のエリーゼのためにが流れ、わたしの頭の周りをぐるっと機械が回り始める。
人体改造されるか、宇宙にでもいくのか、と不安と興奮が入り混じる。妄想が広がっていく。のも束の間、また歯科助手のお姉さんが入ってきて元の席に戻される。
つい先ほどとられたレントゲン写真が目の前にデカデカと写し出され、割と綺麗に並んだ歯の端に、リーチの麻雀牌のように真横に生えた親知らずがいた。
院長先生がきて、最初にされた質問とおんなじようなことを聞かれたあと、顎をぐりぐりマッサージされながら、ここ痛い?と聞かれる。痛いです、痛いです、と言い続けているうちにマッサージは終わり、カクカクいっていた顎は治っていた。「凝っていただけだね、関節は外れてないから大丈夫。お疲れだね〜」と言われた。
お疲れだね、と言われると急に疲れていることを自覚し全ての疲れの理由を思い出して泣きそうになる。
この親知らずは抜いた方がいいね、素直に生えているからそんなに大変じゃないから大丈夫だよ、15分くらいで抜ける。もう次回抜歯でいい?
と聞かれる。わたしはつい最近友人達からいかに親知らずの抜歯が恐ろしかったかをきかされていたばっかりだったのでこんなすぐ?と思い、顎の調子も悪いし〜ずっと開けてられるかな〜とかぶつぶついいながら渋ったけど顎はマッサージをし続けなさい、職場のパソコンにシールでも貼って、思い出すたびにやりなさい。親知らずは早く抜くに越したことはないと言われて腹を括った。
あまりにも痛すぎて急いで調べた病院だったけどとてもいい歯医者だった。
明日は先輩に教えてもらった整体にいく。健康診断もうけるし眼科にも行こう。この一年休みなく駆け抜けた分溜まったダメになってる部分を今のうちに治そう。
それにしても親知らずって名前つけたの誰だよ。名前聞くたびに自分のことを言われているようで凹むから、せめてなんかもっと引き出しの中の忘れてた五千円みたいな雰囲気の、少しクスッとするような、まぁいっかと思えるような名前をつけてほしかった。

2023.04.17

しゃっくりを止める方法

「なすびなにいろ?ってきいて、む、ら、さ、き、っていっているあいだにしゃっくりとまるよ。」

「むーらー」

「もっとゆっくり!むーーーーーーらーーーーさーーーーき」

「止まらないわ」

「そっかー私は絶対これで止まるんだけどな、しゃっくり。」

「思い込みの力ってあるよね」

「そうかーそれか」

 

 

2022824日。

 

 

8月いっぱいでシェアハウスは終了し、今の家を引っ越すことになって、引っ越す前に友達呼んでパーティーしようという話になってピザパーティーを開催した。

 

夕立に降られてびしょびしょになりながらまやちゃんは家からかき氷機を持ってきてくれて、

すみちゃんはシャインマスカットを持ってきてくれた。

面白かった舞台や映画の話、ジョジョと進撃は絶対に見た方がいいって熱弁と、はねるのとびらのなんの企画が好きだったとか同世代ならではの話を笑いながらする。

途中でコンビニに行って氷を買って、ゴリゴリと氷を削りながら懐かし~とみんな言っていたけど、我が家は母が氷を削る音が苦手で家でかき氷を食べた記憶がほとんどない。だから今後家庭用かき氷機に出会った時はきっと今日のことを思い出すと思う。

 

今年の夏の前半はほとんど稽古場と劇場にいたから、この日が一番夏を感じた日だった。

 

「しゃっくりがずっと続くと死んじゃうんだよ」

 

現にしゃっくりが止まらない人の隣で話しだす。

「嘘でしょ?」

「臓器が痙攣しとるんよ。実際に死んじゃった人いるって、多分アンビリーバボーでやってた」

そんなん話したら不安になるじゃんか!と思ったけどまやちゃんは変わらずたまに大きくしゃっくりをしながらゴロゴロしてニヤニヤしている。

みんなそれぞれが持ってるしゃっくりを止める方法を試すけど、まやちゃんのしゃっくりは一向に止まらなかった。

 

その後みくちんがお土産で渡したパックをまやちゃんがつけて、みくちんも便乗してユニット組むか~とか言って写真を撮り始める。

ユニット名どうする?と聞いたら

すみちゃんが「SUKEKIYO!」と言い放つ。(確かにすごく分厚いパックで二人の顔は真っ白だった)

売れて金持ちになりて~ってケラケラ話す。

 

 

みんな一人の夜はこれから先の不安に何度も押しつぶされている、きっと。

すみちゃんが笑いながら言ってた「でもみんなは頑張ってることがあるから~」という言葉が心に引っかかる。

 

 

「泊まる気満々できたからね~」と時計を気にせずにいたらもう3時とかになってて、みんなで川の字(一本多い)になって寝た。

 

「ゴミ捨てなきゃいけないから8時までには帰らなきゃ」

「えー偉すぎる」

「なすびがやばかったねんなぁ。液状化しちゃってて」

「あたしもこの間ゴーヤ液状化させた」

「くさそー」

「もう黄色かったもんね」

 

 

私は次の日バイトだったから、そこで寝てしまってこの会話までしか記憶にないのだけど、その後すみちゃんとまやちゃんは宇宙の話で超盛り上がったらしい。(ちなみに二人はこの日が初対面だった)

 

 

 

 

お酒を飲んだ日の朝は必ずbadモードがやってくる。

目が覚めてすぐに行ったトイレの中で最悪な感情の波に溺れた。

このパーティーの前に、私は10月にやる予定だった自主公演をやめることにした。

大学時代の教授が言っていた「何か2つのことで迷った時、先が見えなくて難しい方を選んだ方がいいよ。」って言葉を迷った時はいつも思い出して、それを指標にこれまで様々な選択をしてきたから、多分初めて簡単で、結末が見えている方を決断してしまった。何度もこれで良かったと、これ以外仕方なかったと思ったけれど、本当は自分に自信がなかっただけなんじゃないかと自責の波が止まらず苦しかったのでもうやらずに後悔するということはできるだけしたくないなと思った。

選択をするとき、結局選択した先の結末を全て受け入れなければいけないのは自分一人だ。自分で選択できるようになれなきゃ後悔の気持ちは行先もなくずっと残り続ける。思考もまとまらぬまま吐き出してしまった言葉を思い出しては自分の未熟さに情けなくなる。

 

でも大丈夫。badモードは一瞬で、きっとすぐこの決断をした自分を肯定できるようになる。ちゃんと今の自分が悩みに悩んで決めたこと。(ふとした時後悔してしまうのはその先に機会を自分で作れる自信を失ってるからだと思う。情けないよ。絶対に作るよ。)

誰にどう思われようと、結局自分がどうありたいかでしかない。

強くならなきゃいけないよ。怠けていちゃいけないよ。

 

 

 

 

戻るとすみちゃんがもういないことに気づく。

えらい。本当にゴミを捨てに帰ったんだ。

昨日の夜に笑いながら何度か繰り返していた言葉をまた思い出してすみちゃんも帰りのバスでbadモードに入ってないといいなと思った。

 

 

こういう夜があるからやっと生きていけた2年半だった。

アメリカの映画の学生がしょっちゅう家でパーティーしているのに憧れてたけど、ドレス着てないってだけでほぼおんなじことしてたじゃんか、と振り返って思う。

美味しいもの食べてお酒を飲んで、文句を言ってぶつかり合ってちょっと喧嘩もして、これからの話をして気分が乗ってきたらギターを弾いてそれぞれが歌う。映画の中のような時間が目の前で流れていて、この時間の愛おしさを噛み締める。

 

下北沢での生活は多分死ぬ前にあの頃は良かったな、と必ず思い出すと思う。

思い出して、まあ色々あったし基本辛かったけど生まれてきては良かったな~と思えるくらいにはこの日々は、あの夜は、宝物になると思う。

 

 

 

結局まやちゃんのしゃっくりは何で止まったんだっけ?

それはもうすっかり思い出せないけど。2022.09.02