公演おわってから、流れを堰き止めていたダムが崩壊し一気に濁流が流れてくるように各所から仕事や電話の連絡がきて気づいた時には公演が終わって4日も経っていた。
この4日何してたんだよ、と19日からの自分を振り返っても余韻に浸る隙間など確かに少しもなかった。
夕方から時間が空いていた昨日は、恋人の家に行って恋人が帰ってくるまでは改めて公演に来てくれた方々へのお礼をしようと思っていたのに、立て続けに3人くらいと電話の約束ができ、あっという間に時間は過ぎて24時過ぎに帰ってきた恋人が大きな真っ白のお花の束を抱き抱えて入ってきたのをみて、なんの花束だ…!と思考が停止した。
「公演お疲れ様」とその花束を渡された時、そうだった…わたしはつい先日公演をやり遂げたばかりだったんだった…と花束を握り締めたときにようやく少し実感したのだった。
もらった花束を抱えて電車に乗っている時間がとても幸せだった。揺れて柔らかい花びらの感触が肌に触れる。常に花の香りで包まれている。公演のことを振り返る。流れていた時間のことを思い出す。
私は中高一貫の学校に通っていて、毎日朝の礼拝から1日が始まった。
まずは前奏があって祈り言葉があり、讃美歌を歌って聖書の言葉に耳を傾ける。それからクリスチャンの先生達の神様とのエピソードを聞き、また共に祈りを捧げ、讃美歌を歌い後奏がある。
チャペルのステンドグラスから差し込む光とグランドピアノの音はいつもとても綺麗で、
昨晩どんなに嫌なことがあってもだいたいが洗い流された。
神様のことを、わたしは心から信じてはいないけど、信じている人たちの話を聞くのは好きだった。何かを信じて祈る人たちの姿が、そのための歌が、言葉が、美しくて礼拝の時間がとても好きだった。
電車の中で思い返しながら"あぁ、あの時間を再現したかったんだ"と思った。
中学生の頃から作品を作ってきて、少しずつ表現の形は変われど、根底はずっと同じところにある。
あなたが今どうしようもない苦しみや悲しみの中にいたとしても、必ず明けるときがくるから、どうかそのことを忘れないでいて。
光はいつだって不思議になるほど綺麗、生活は尊い、もしも天国に行って17時のチャイムを聴いた時、二度と戻れない日々があまりに愛おしくてきっと泣いてしまう。
何の救いにもならないと、結局祈りなんてなにも変えないと、言われたら本当その通りだ。もちろんわたしはわたしのことしか変えることはできない。
それでもわたしは手を組んで親指で十字架を作り目を瞑る。その時間は私にとって救いであるから。
でももしも、その姿が誰かにとって少しだけ糧になったりしたのなら、こんなに嬉しいことはないと、そしてそれが少しでも長くあなたを満たしますようにと、また手を組み祈り続ける。
家に着き、"薔薇はドライフラワーにして新居にかざったら?"と恋人に言われた通り、花束から薔薇だけを抜いて、残りの花を大きな花瓶に生けた。
3月からまた新たらしい生活が始まる。
頭の中のタスクをリストアップしたらあまりの多さにどこから手をつけたらいいのかわからなくなり、結局布団に寝転がる。
生活は続く。"生活は尊い"と書いたが基本は心を乱すことばかりの日々だ。
その中でしばらくは玄関の花束が、部屋の中に香る薔薇の匂いが、私を少し幸せにしてくれる。
2024/02/21